Sendai a Go!Go!(震災から1年)

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仙台駅の新幹線改札を出ると久しぶりに再会する友人が迎えに来てくれていた。
最期に仙台を訪れたのは5年前、大阪生活を始める直前だった。
駅構内にある和食の店で「牛タン」を肴に1杯やりながらお互いの近況を
報告しあった。(友人は車のためノンアルコールだったが)

彼女は仙台市の南東に隣接している「名取市」の閖上(ゆりあげ)地区で小学校の教諭をしていた。
(現在は異動しているとの事)
先の大震災での名取市の犠牲者数は1027人(2011、6、11現在)
その大多数がこの閖上地区に集中している。
震災時の状況を聞きたいという純粋な好奇心を押さえ自身の大阪生活のエピソードなどを
面白おかしく話していると彼女のほうからその時のことを話しはじめてくれた。
他地域同様この地区の津波による犠牲者が多かった原因は「まさかここまで津波は来ないだろう」
という思い込みによる避難の遅れだったようだ。

震災当日、6時間目の途中に激しい揺れが襲いその後の津波警報を受け生徒を
最上階に誘導した後、津波到達予定時刻になっても変化が無いため一旦生徒達を
体育館に集め集団下校させようとしたところ海側からの避難民の情報によって
津波接近の情報が入り再度全生徒を最上階に避難させたとのこと、間一髪
校内にいた生徒は津波の被害を免れた。
小学校にいた生徒達はまだ幸運な方でこの地区はのちにBBC(イギリス国営放送)で
津波により地図上から姿を消したと報道されたほどの被害をこうむった。

そして意外?!にも1年後の現在は外の人には今の閖上を是非見ていってほしいとのことで
彼女の車に乗り込み閖上に向かった。

仙台市内から件の地域に向かうとある所から風景がまさにスイッチの「ON」「OFF」のように
すっかり変わる地点がある。
彼女はここが津波の限界到達点だと説明してくれたがあまりにもその内と外での違いに驚いた。

小学校校舎

中学校校舎

校庭から周りの風景を見るとそこはまさに荒野であり、小学校と中学校の校舎が
巨大な墓標のように見える。
本当にここに5600人強の人々が日々の生活をしていたとは思えないと言うのが
正直な感想である。
小学校の体育館には、付近に流れ着いた品々や名札の付いた児童のランドセルがいまだに引き取り手が
無く置かれている。

体育館。。

ランドセル1

ランドセル2

中学校の正面には献花台があり、この学校生徒の犠牲者名が刻んであり、
みんな、小学生の頃は友人の教え子達であった。

中学校正面。

いまだに片付けられず中学校の校庭に放置された漁船と津波の襲った時刻で止まってしまった
時計に言いようの無い悲しみを覚え、未曾有の天災なのだがその中でもちょっとした事で
生死を分けてしまうということに世の無常を感じざるえない。

流れ着いた漁船。

止まってしまった時計。

悔やんでも悔やみきれない色々な思いはあるものの、生き残った方々はこれから
前に進んで生きて行かなければならない。
少しでもその思いの助けになれればと私は今思っている。

東北新幹線。
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2 Comments

lastchristmas  

先日は、久しぶりにお会いできて本当にうれしかったです。次回は、お帰りになる時にも昼食&お見送りもさせて下さい!
津波の来た地域は1年が経過し、当時の様子とは変わっていますが、これから時が経つにつれてまたさらに変わっていくと思いましたので、見て頂きたく思ってご案内いたしました。一人が感じたことが他の方にも何らかの記憶に残り、災害時のとっさの判断、行動に役立っていってほしいと思っています。
また、近いうちにお会いできることを心から願っております。
 軍曹さんも、新しいお仕事、健康に留意して頑張ってくださいね!!<iframe width="560" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/P0q3Q7Igy2E" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>このニュース映像はあの地域のものです。2分40秒ころに学校が映っています。

2012/04/03 (Tue) 18:16 | EDIT | REPLY |   

軍曹殿!  

lastXmasさん>

本当に先日はお世話になりました。
わたくしなりに閖上の今を拝見させていただいての
素直な気持ちを文章にしてみました。

また「仙台」には遊びに行きます。
今度こそ、呑んで笑って嘔吐して・・・(苦笑)
楽しくやりましょう。。

2012/04/03 (Tue) 23:09 | EDIT | REPLY |   

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