戦後70年・・・

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私の祖父

毎年この時期のBlogでは基本この手の話題には触れないのだが、今年は第二次世界大戦
終結70周年という事なので、パーソナルな事だが少しだけ書いてみる。

画像は私の祖父である。明治生まれで土地柄(福島県会津地方)もあり、年少時にはかなり
苦しい生活状況だったらしい。
戊辰戦争以来この地方はある意味賊軍の汚名を着せられ(※個人の印象)まともな職もなく
軍人か、警察官か、教師か・・・公務員が唯一の貧困からの脱出手段だった。
(事実、現在でも私の一族には自衛隊員、国税職員、教師等公務員が多い。その中では
私はヤクザな商売に付いていると言えるのだが)
その公式に則り祖父は海軍に入る。そして横須賀勤務等を経て、無事お勤め?!を終えて
故郷の会津に帰ってきた頃には日本は昭和の暗い時代に突入していた。
そして大戦末期に予備役として乗る艦も無く大陸に向かい、国民党軍の機銃掃射によって
戦死する。8人兄弟の末っ子だった母はまだ祖母のお腹にいて祖父の顔を知らなかった。
祖母は私が16の時まで存命だったのだが、末っ子の孫と言う事で他の子供らよりはかなり
可愛がってもらった。その祖母の話によると戦後間も無く祖父の部下だった方が、骨壺と
形見の拳銃と軍刀を持って祖母のところに訪れたそうだ。
子供の頃、会津に帰った際、祖母からその話を聞き、「その拳銃は?」と聞く私に祖母は
「仏壇の奥の方にはあるかねぇ」と答え、その言葉を本気にして夜中に仏壇の奥をゴソゴソ探して祖母に怒られたものだ。(実際は当時の生活苦もあってか、提出せずに売ってしまったらしい)
祖母は戦後間もない頃は生活のために芸者の置屋を営んでおり、その名残か、子供の頃の
祖母のイメージと言ったらいつも大きな火鉢前に座り、煙管で煙草をふかす粋な感じだった。
終戦後20年ほど経ってから生まれた私の戦争体験?!はこんなものだができる事なら祖父の
話を聞いてみたかった。まぁ、それはあと数十年後に向こうで聞く事にしよう。

追記
祖母の臨終の際、混濁した意識の中で私は祖母に祖父と間違えられた。
ぎゅっと私の手を握って祖父の名前を呼ぶ祖母。
今頃はきっと向こうで仲良くやっているのだろう。あとで聞いたのだが私は一族の中で一番
祖父に似ているらしい。

この戦争で亡くなったすべての方に合掌。。
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